MILOを応援してくださっている全ての皆様へ
2012年の最後の日となりました。今年は皆さんにとってどんな年でしたか?
MILOにとっては、2013年に繋がる大きな切符を手にした年でした。
諦めかけていた大好きな音楽を、ここカンボジアでもう一度やりたい!と思って
在住日本人のバズーカさん、スージー、そしてカンボジア人のアッタイと出会い、素晴らしい方々と出会い、協力してもらって、
色々悩みながらもこうして細々と7年ほど続けている活動を、皆さんに支えて頂き、応援して頂き、
それをとてもいい形でもうすぐ皆さんにお伝えできる機会に恵まれました。
一生懸命やっていれば必ず見てくれている人はいる、と言ってくださった偉大な先輩がいます。まさにその通りになりました。
MILOメンバーにも少し変化もありました。日本へ本帰国したメンバー、新しいメンバーの加入など。
そして楽譜普及プロジェクトでは、楽器を作らせてみたり、伝統楽器とのコラボレーションをして、子供達に見てもらったり、いろんなことに挑戦してみました。
2013年は、ますます面白くなります。
皆さんにサプライズを与え続けます。
新年早々飛ばしますから、ついてきてくださいね!
私自身へ向けては、実るほど頭を垂れる稲穂かな、過去の失敗を二度と繰り返さないように。
ということを念頭におき、謙虚に貪欲にいきます。
今考えれば、10年前にお世話になっていた方々に口酸っぱく言われていたことと全く同じことを、今ようやく自分で理解しこうして言えるようになるなんて、皮肉というか、情けないというか、、、これも成長の証なんでしょうか。
そして、出会いあれば別れもありました。悲しみに暮れていた私を救ってくれたのは、お友達が言ってくれた「結局私達が出来るのは、周りの人を少しでも幸せにすることだ」という言葉でした。
確かに。もっと周りの人たちに幸せにできるように精一杯生きていきたいと思います。
今年もお世話になりました。
本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします!
リアハウイ2012年、そして、スオスダイ2013年!
MILO 代表
浦田彩
Monday, December 31, 2012
Saturday, December 08, 2012
怒涛の1ヶ月でした。。
3ヶ月まえでしょうか、ある人からメールがありました。
「番組の制作会社に勤めているOOと申します。NHKのアジアで花咲けなでしこたちという番組の取材対象者として、浦田さんのカンボジアでの活動に興味がありますので、お電話させていただいてよろしいでしょうか」
ははぁ、、、いったい何をみて?何を読んで?という感じではありましたが、これが2012年の締めくくりの始まりでした。
こちらの電話番号を教えて、かかってくるのを待ちました。で、数回のメール取材・電話取材・スカイプ取材を終え、数週間後、
プレゼンの結果、浦田さんで行くことになりました!
スケジュールを調整させていただけますか?
え、ええ??????????????わたし??????
というわけで、ロケハン(ロケーションハンティングといって、前もってどんなところを本番で撮影するか決めるというもの)に来られた同い年の男性ディレクターさん(以下・監督)、
なんと初海外・もちろん初海外出張!!そして初監督!!!
ヴァージン以上のヴァージンですよ。
というわけで、これは、私も取材という枠を超え、カンボジアを大好きになってもらいたい!!という一心で挑んだのですが、
この番組、去年からシリーズ化されており、いわゆるアジアで活躍している・もしくは今後しそうな”キャリアウーマン”を追うというドキュメンタリー番組。
で、なぜ現地人化していて、ただ音楽好きの私が選ばれたかというと、「ザ・飛び道具(笑)」
こういう生き方もあるんだよ、と思わせる生き方をしている人として選ばれたらしいです。
いや、こうやって正直に理由を言ってくれた監督にはほんまに感謝しています。
ところが、私のやっていることが、テレビ的に光がないという話になり(向こうから取材したいって来ておいてそんな言い方はないやろう、という感じですが)
ただ、やらせではもちろんダメ、ということで、私の忙しいスケジュールを見込んでいるにもかかわらず、監督は色々強要してきます。テレビの人嫌い!って本気で思いました。
一週間のロケハンが終わり、監督が帰った日に、とあるバーで飲んでたら、カンボジア在住の大先輩のマダムサチコが「げっそりしてるよ、大丈夫?」といわれ、後日お食事をご馳走になりました。。。
で、本番。
夜中到着で、次の日の朝にはもう撮影が始まるのもあり、申し訳ないですが着いた夜に顔合わせを、ということで、お泊りになっているホテルへ、挨拶に行くと、
そこには、とってもやさしそうなカメラマンさんと穏やかな音声さん、そして監督、
皆さんお疲れなのにも関わらず、結局午前2時前くらいまで色々お話させていただき、和やかな雰囲気のまま、怒涛の10日間がスタート、
主なところだけ、パパっと書きますが、以下がスケジュールでした。
1日目 田舎の小学校での授業撮影
2日目 今までの人生を振り返るロングインタビュー、通勤風景撮影
3日目 インターナショナルスクールでの授業撮影、ミロ新メンバーとの練習風景撮影
4日目 個人レッスンの授業撮影、ジャズバンドのライブ撮影
5日目 自宅での朝ごはんの様子撮影、普段のランチの様子撮影、ミロのライブ撮影
6日目 田舎の小学校での授業2撮影、漫画家さん(この番組いつも漫画家さんとのコラボレーションがあるんです)とインタビュー、ミロのリハーサル撮影
7日目 伝統音楽のおじさんの家訪問撮影、ミロのライブ2撮影
8日目 田舎の小学校での準備風景撮影
9日目 田舎の小学校での授業3撮影、自宅での晩御飯の様子撮影、最後のインタビュー
10日目 ミロのボーカル、アッタイとの練習風景撮影
もちろん、これプラス普通のレッスンもありますし、普通のレッスンの準備もしなければなりません。
監督は、それを考慮し、このスケジュールを組み立てました・・・。
ひぇーーーー思い出しただけでも嫌になります(苦笑)
こんなに取材されて、たかが30分の番組ですよ。
10日間密着取材、想像してください、あなたの10日間、カメラで撮影され続けることを・・・。
何が大変って、何か終えるたびにいちいち「今日はいかがでしたか?」「いつもこんな感じですか?」「あのときああ言いましたよね、どうしてそう言ったんですか?」と質問攻め。
ま、向こうもそれが仕事なんですけど、でもそんなに普段色々考えて行動してませんから!!!
しかも、普段の生活が80パーセント英語とカンボジア語になってきている今、日本語が全然出てこない・・・聞かれてる質問に答えられない、答えられている自信がない。
監督もまた不安そうな表情をするし、、、ますます焦りが・・・うう。
言わせたいこと前もって教えてください、って何回言いそうになったか・・・。
でも私も大変でしたけど、初海外で初の監督を務め、相手が日本語がよくわからなくなってきているこんな私で、ディレクターさんはもっと大変やったやろうなと思います。
しかも、この監督、ほとんどお酒が飲めないにもかかわらず、私と一緒のペースで飲み続けたため、10日間のうち3日私の隣で爆睡(笑)最終的には
「勘弁してください」
とまで言われてしまいましたが、私もせっかくの日本からのお客様だし、こんな取材も次いつあるかわかりませんので、
「ここで帰すわけにはいかないんです!今からいい話しますから」とか言って、散々ひき止めてました。あははは。すべては取材のためです。はい。
でもカメラマンさんがとってもいい方だったんです。3人のクルーのうち、カメラマンさんが唯一海外ロケに何度も行ったことのある方で色んな話をしてくれました。
監督が質問漏れしたところで、うまく質問返ししてくれたり、カメラの向こうでずーっと笑顔で頷いてくれてたんです。どれだけ救われたか・・・。
最終日の夜に1シーンだけ見せてくれたんですが、私めっちゃ可愛く撮ってくれててテンションあがりました!!カメラマンさんいわく、取材対象者に恋しなきゃこういうのは撮影できないんですよ、とのこと。さすがプロです。
でも、こうやって振り返ってみて、やってよかったと思いました。
私の人生を振り返ることが出来たし、自分の隠したいと思ってた過去、、たとえば
・デビューしてだめになってしまって逃げるように日本を飛び出したあの時
・YAMAHAの講師採用試験に絶対受かると言われて続けてたのにも関わらず、結果受からなかったあの瞬間
本当に素直に「日本で居場所がなかったんです」って最終的にはきちんと言えたし、カンボジアに来ても「友だちもお金もなかった」とか、そういう本当にダメダメだった時のことを、自分の言葉で監督に伝えて、そして今の自分をきちんと見つめなおし、撮影してもらえたことで、私の20代は波乱万丈でよかったんだ、だからカンボジアにいるんだ、だから音楽を続けなきゃいけないんだ、って改めて強く思いました。
たった10日間だけでしたけど、今までの人生の中でも5本の指に入る10日間になりました。
今回、長い長い密着取材の中で行われた数回のインタビューを受けながら、
私は本当に周りの人に恵まれてきたんだな、と思いました。
大切な家族・お友達、先生方、先輩方、みんなに支えられて浦田彩がいるんだ、と痛感しました。
この場を借りて、
ほんまにほんまにありがとうございます!!!!!!!!!!!
自分を大きく振り返ることができ、こんなにも素晴らしい機会に恵まれたことは、家族・友だちがカンボジアにいることを応援しつづけてくれたからです。ほんとに皆様ありがとうございます。
監督とは、ほんととことん話し合って私のいいとこもわるいとこも全部見てもらったつもりなんで、オチはまったくない番組だけど、今の私のすべてが詰まった番組になると思います。
この後監督は孤独な編集作業に1ヶ月も費やし、番組にするらしいのですが、
約4ヶ月、私と共に走ってくれた監督は最後に
「最高の食材を最高の料理にします!」
と言ってもらったんで、監督にとっても思い出に残る番組になることを期待しています。
この番組枠、しつこいくらい再放送もするらしいので、皆さん、可愛く映ってる浦田彩を一度は見てくださいね!
初めの放送は2月らしいので、また決まり次第後報告しまーす!!
お楽しみに!!!
「番組の制作会社に勤めているOOと申します。NHKのアジアで花咲けなでしこたちという番組の取材対象者として、浦田さんのカンボジアでの活動に興味がありますので、お電話させていただいてよろしいでしょうか」
ははぁ、、、いったい何をみて?何を読んで?という感じではありましたが、これが2012年の締めくくりの始まりでした。
こちらの電話番号を教えて、かかってくるのを待ちました。で、数回のメール取材・電話取材・スカイプ取材を終え、数週間後、
プレゼンの結果、浦田さんで行くことになりました!
スケジュールを調整させていただけますか?
え、ええ??????????????わたし??????
というわけで、ロケハン(ロケーションハンティングといって、前もってどんなところを本番で撮影するか決めるというもの)に来られた同い年の男性ディレクターさん(以下・監督)、
なんと初海外・もちろん初海外出張!!そして初監督!!!
ヴァージン以上のヴァージンですよ。
というわけで、これは、私も取材という枠を超え、カンボジアを大好きになってもらいたい!!という一心で挑んだのですが、
この番組、去年からシリーズ化されており、いわゆるアジアで活躍している・もしくは今後しそうな”キャリアウーマン”を追うというドキュメンタリー番組。
で、なぜ現地人化していて、ただ音楽好きの私が選ばれたかというと、「ザ・飛び道具(笑)」
こういう生き方もあるんだよ、と思わせる生き方をしている人として選ばれたらしいです。
いや、こうやって正直に理由を言ってくれた監督にはほんまに感謝しています。
ところが、私のやっていることが、テレビ的に光がないという話になり(向こうから取材したいって来ておいてそんな言い方はないやろう、という感じですが)
ただ、やらせではもちろんダメ、ということで、私の忙しいスケジュールを見込んでいるにもかかわらず、監督は色々強要してきます。テレビの人嫌い!って本気で思いました。
一週間のロケハンが終わり、監督が帰った日に、とあるバーで飲んでたら、カンボジア在住の大先輩のマダムサチコが「げっそりしてるよ、大丈夫?」といわれ、後日お食事をご馳走になりました。。。
で、本番。
夜中到着で、次の日の朝にはもう撮影が始まるのもあり、申し訳ないですが着いた夜に顔合わせを、ということで、お泊りになっているホテルへ、挨拶に行くと、
そこには、とってもやさしそうなカメラマンさんと穏やかな音声さん、そして監督、
皆さんお疲れなのにも関わらず、結局午前2時前くらいまで色々お話させていただき、和やかな雰囲気のまま、怒涛の10日間がスタート、
主なところだけ、パパっと書きますが、以下がスケジュールでした。
1日目 田舎の小学校での授業撮影
2日目 今までの人生を振り返るロングインタビュー、通勤風景撮影
3日目 インターナショナルスクールでの授業撮影、ミロ新メンバーとの練習風景撮影
4日目 個人レッスンの授業撮影、ジャズバンドのライブ撮影
5日目 自宅での朝ごはんの様子撮影、普段のランチの様子撮影、ミロのライブ撮影
6日目 田舎の小学校での授業2撮影、漫画家さん(この番組いつも漫画家さんとのコラボレーションがあるんです)とインタビュー、ミロのリハーサル撮影
7日目 伝統音楽のおじさんの家訪問撮影、ミロのライブ2撮影
8日目 田舎の小学校での準備風景撮影
9日目 田舎の小学校での授業3撮影、自宅での晩御飯の様子撮影、最後のインタビュー
10日目 ミロのボーカル、アッタイとの練習風景撮影
もちろん、これプラス普通のレッスンもありますし、普通のレッスンの準備もしなければなりません。
監督は、それを考慮し、このスケジュールを組み立てました・・・。
ひぇーーーー思い出しただけでも嫌になります(苦笑)
こんなに取材されて、たかが30分の番組ですよ。
10日間密着取材、想像してください、あなたの10日間、カメラで撮影され続けることを・・・。
何が大変って、何か終えるたびにいちいち「今日はいかがでしたか?」「いつもこんな感じですか?」「あのときああ言いましたよね、どうしてそう言ったんですか?」と質問攻め。
ま、向こうもそれが仕事なんですけど、でもそんなに普段色々考えて行動してませんから!!!
しかも、普段の生活が80パーセント英語とカンボジア語になってきている今、日本語が全然出てこない・・・聞かれてる質問に答えられない、答えられている自信がない。
監督もまた不安そうな表情をするし、、、ますます焦りが・・・うう。
言わせたいこと前もって教えてください、って何回言いそうになったか・・・。
でも私も大変でしたけど、初海外で初の監督を務め、相手が日本語がよくわからなくなってきているこんな私で、ディレクターさんはもっと大変やったやろうなと思います。
しかも、この監督、ほとんどお酒が飲めないにもかかわらず、私と一緒のペースで飲み続けたため、10日間のうち3日私の隣で爆睡(笑)最終的には
「勘弁してください」
とまで言われてしまいましたが、私もせっかくの日本からのお客様だし、こんな取材も次いつあるかわかりませんので、
「ここで帰すわけにはいかないんです!今からいい話しますから」とか言って、散々ひき止めてました。あははは。すべては取材のためです。はい。
でもカメラマンさんがとってもいい方だったんです。3人のクルーのうち、カメラマンさんが唯一海外ロケに何度も行ったことのある方で色んな話をしてくれました。
監督が質問漏れしたところで、うまく質問返ししてくれたり、カメラの向こうでずーっと笑顔で頷いてくれてたんです。どれだけ救われたか・・・。
最終日の夜に1シーンだけ見せてくれたんですが、私めっちゃ可愛く撮ってくれててテンションあがりました!!カメラマンさんいわく、取材対象者に恋しなきゃこういうのは撮影できないんですよ、とのこと。さすがプロです。
でも、こうやって振り返ってみて、やってよかったと思いました。
私の人生を振り返ることが出来たし、自分の隠したいと思ってた過去、、たとえば
・デビューしてだめになってしまって逃げるように日本を飛び出したあの時
・YAMAHAの講師採用試験に絶対受かると言われて続けてたのにも関わらず、結果受からなかったあの瞬間
本当に素直に「日本で居場所がなかったんです」って最終的にはきちんと言えたし、カンボジアに来ても「友だちもお金もなかった」とか、そういう本当にダメダメだった時のことを、自分の言葉で監督に伝えて、そして今の自分をきちんと見つめなおし、撮影してもらえたことで、私の20代は波乱万丈でよかったんだ、だからカンボジアにいるんだ、だから音楽を続けなきゃいけないんだ、って改めて強く思いました。
たった10日間だけでしたけど、今までの人生の中でも5本の指に入る10日間になりました。
今回、長い長い密着取材の中で行われた数回のインタビューを受けながら、
私は本当に周りの人に恵まれてきたんだな、と思いました。
大切な家族・お友達、先生方、先輩方、みんなに支えられて浦田彩がいるんだ、と痛感しました。
この場を借りて、
ほんまにほんまにありがとうございます!!!!!!!!!!!
自分を大きく振り返ることができ、こんなにも素晴らしい機会に恵まれたことは、家族・友だちがカンボジアにいることを応援しつづけてくれたからです。ほんとに皆様ありがとうございます。
監督とは、ほんととことん話し合って私のいいとこもわるいとこも全部見てもらったつもりなんで、オチはまったくない番組だけど、今の私のすべてが詰まった番組になると思います。
この後監督は孤独な編集作業に1ヶ月も費やし、番組にするらしいのですが、
約4ヶ月、私と共に走ってくれた監督は最後に
「最高の食材を最高の料理にします!」
と言ってもらったんで、監督にとっても思い出に残る番組になることを期待しています。
この番組枠、しつこいくらい再放送もするらしいので、皆さん、可愛く映ってる浦田彩を一度は見てくださいね!
初めの放送は2月らしいので、また決まり次第後報告しまーす!!
お楽しみに!!!
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